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柳生心眼流は戦国時代末期に竹永隼人によって創始されました。
竹永隼人は初め、諸流を学び、後に柳生但馬守宗矩に師事し、
柳生心眼流を名乗ることを許されたと伝えられています。
時代を経て、当流は各師範によって仙台を中心とし、東北一帯に広められました。
明治時代においては、柳生心眼流近代の祖とされる星貞吉が現れました。
星貞吉は多くの伝説を残しており、分銅鎖を難なく引きちぎったり、
更には気合一つで馬に乗っている人物を落とすことができたとされています。
また、星貞吉は当流の普及に努め、その生涯で数多くの弟子を輩出しました。
その星貞吉門下の中で、実力派の高弟とされる鹿野慶吉師範は星貞吉から
免許皆伝を受け、奥義を授けられました。そして、当流は鹿野慶吉師範から
相沢富雄師範、島津兼治師範へと伝えられ、更に、当会代表の吉田朗良がその伝統を
受け継ぎ、今日に至っています。
(参考文献:『正伝 柳生心眼流兵法術』星国雄・島津兼治共著 )
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